自身の「生殺与奪の権利」は我が手中にある
会議室に呼ばれて「イヤなら辞めていいよ」と言われたら
迷わずコイツが火を噴くんだが、言ってほしいセリフを言ってほしいタイミングでは言ってくれないねぇ。。。あぁ、このセリフ言われたい・・・
今のご時世、自身の「生殺与奪の権利」を自分が握ってる人はほぼいないだろう。
今の日本人って、
わずかばかりの給料もらって自分の一時の快楽のために浪費して、またクソみたいな上司にゴマスリして、頭悪いバカな客に腰低くお伺い立ててまた安い給料もらってストレス溜めてその反動で浪費しての無限ループをひたすら繰り返すのみ。
この状態で仕事失ったら大半の人は「詰んで」しまうはず。だって貯金まともに持ってない人が多いのが今の日本人の現実だもん。
だから何が何でも仕事にしがみつかなきゃいけない。つまり、自身の「生殺与奪の権利」を勤め先に握らせてるよう状態。
この自分の「生殺与奪の権利」を他人に握られてるってことに何気に社会人1年目に気づいてた。
就職セミナーとか会社説明会とかで言われた「働くことの意義」だの「仕事のやりがい」だのはとんだまやかしで、いかに世間知らずの若造を低賃金重労働でこき使うか、如何に洗脳して逃げられないようにするか、今思えばやってることってほぼ「人買い」と大して変わらん気がするわ。
だが逆に考えると・・・
「生活していけるだけのカネがあれば働く必要なくね??」
「やりがいとか言ってるけど、そこまでやりがい求めるならボランティアでよくね?」
こういう非国民極まりない考えが頭の中を占領し始めたわけ(笑)
で、行きついた先が「永久に自分の生活費賄えるようなキャッシュフロー生み出せる仕組み作ったら会社逝く必要なくね?」って思考。
結局答えは資産運用にあったというだけ。
資産額が5,000万こえたあたりで自分の「生殺与奪の権利」を取り戻した実感が湧いたのははっきり覚えてる。
浪費で得られる快楽は一時だが、「生殺与奪の権利」を取り戻した安心感は一生ものだよ。
御大層なこと言うつもりなんかないけどさ、、、
ただ、自分たちの既得権守るためにワタシを人身御供にしようといたクソどもにこれ以上自分の人生蹂躙されたくなかっただけなんだよ。
この強烈な憎悪にも近い感情ってすげぇエネルギー生み出してるって実感するわ。
この感情から湧いてくるエネルギーがあるから10年以上も相場に居座って資産運用続けてるわけだよ。守銭奴が守銭奴足り得るエネルギー源だよ(笑)
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